「浅野弾正宛書状」
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サイズ13.7×36.5(93.5×38.5)cm
素材紙本墨書
備考軸装
落款
伝坂本周斎箱書
古筆了意・川勝宗久極札
各務家旧蔵
桑田忠親著『底本千利休書簡』(東京堂出版、昭和46年)所収
天正14年頃作
経年劣化
作品番号A2-93-187
作品解説
「利休が、京都内野の聚楽屋敷から、豊臣家の奉行浅野弾正少弼長吉(長政)に宛てて出した消息であって、日付はないが、秀吉が聚楽第を築いた天正十四年二月以後のものと推定される。しかし、「御陣用意」とか、また、「普請大かたならず」と、文中に見えるから、おそらく、九州遠征の用意をしながら、かつ、聚楽第普請の工事に追われていた天正十四年の秋ごろの音信であろう。灰被の天目を目利きし、もとは金子五枚くらいの値段だったであろうが、今は、どれだけ出す人があっても、売り渡すのは無用である―などといっている。」桑田忠親著『底本千利休書簡』(東京堂出版、昭和46年)引用

【読み】
 追伸候天目者此御
  使へ返申候返々一
  -省略-
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千 利休(せんの りきゅう)
大永2(1522)堺~天正19(1591)京都 茶人。現在の茶道三千家の始祖。極限まで無駄を省く様式を追求し、「わび茶」を完成させた。 大坂堺の商家に生まれ、早くから茶の湯の道に入り、二十代で茶人として知られるようになる。その後、織田信長に茶頭として雇われた後、豊臣秀吉に仕えた。秀吉とともに禁裏茶会や北野大茶湯を催すなど、茶の湯の第一人者となったが、秀吉の怒りにふれ切腹を命じられる。
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