店主 田中千秋の美人画コラム
2018-02-14店主 田中千秋の美人画コラム
05 竹久夢二(たけひさゆめじ)

夢二は、「美人画の系譜」と述べた時、中心にはいない。

美人画という島が大きくあるとしたら離れ小島にポツネンといる。

師匠も弟子もいない。似た絵を描いた人は、先達にもその後もいない。

だが、美人画の理想、のようなものがあるとしたら、実は彼はその真ん中にいる。他のすべての職業画家は、歴史という文脈に吸収されて影になる。夢二、という言葉だけでイマジネーションが幾らでも湧き出す。鈴木清順がまさに彼の名前の映画を撮っているが、夢二の世界はまさに夢の世界。名前で映画を撮れるのは、夢二だけだ。

竹久夢二「南枝早春」(部分)
竹久夢二「南枝早春」(部分)

夢二の仕事は多岐にわたる。小説挿絵、音楽本イラスト、装丁デザイン、木版、油彩、日本画、自らのブランドショップとも言える「港や」の経営さえしている。

夢二の評価は高い。あのイラスト的な筆数の少ない省エネの絵は、同じく省エネを試みた画家の数倍する。簡単なものでも。百万では手に入らぬ。数百万は用意しなければ、良いものは買えない。

夢二はモデルの女との交渉、ロマンに生涯関わった。美人画といえばいそうなタイプだが、いない。多分、現代の画家も夢二の生き方を採りいれたいものもいるだろうが、なぜかできない。モデルに惚れ抜く、モデルが画家に惚れ抜く、そして別れと出逢いを繰り替えす夢二の生き方は、しんどいし、世間体もよくはなかろう。現に夢二は50を迎えずして死んだ。別れは命を消耗するのである。

夢二の仕事は、今の絵描きにも大いに参考になる。美人画の世界は、それまで徒弟制度のシガラミの中にあったが、夢二はまったくの独学自己流で絵を描いた。技法も仕事もバラバラ、女遍歴も奔放なのはしがらみのなさ、別の言葉で言えば孤独がもたらしたものだろう。

だが今、美人画というジャンルを見渡した時、夢二ほど愛されて人の記憶に残った画家がいただろうか。専門の美術館がいくつも建っているのは偶然だろうか。

新しい絵画、愛される絵画、誰にも真似のできない絵画は、孤独から生まれる、しがらみからは生まれない、という事を示唆しているように思う。

Takehisa Yumeji
Takehisa Yumeji was a Japanese-style-painter and poet from Okayama, who provided newspapers and magazines with his illustration. His lyrical Beauty was very popular from the late Meiji to early Taisho era. He also left lots of oil paintings.
秋華洞店主 田中千秋Profile

秋華洞として二代目、美術を扱う田中家としては三代目にあたります。美術や古書画に親しむ育ち方をしてきましたが、若い時の興味はもっぱら映画でした。美術の仕事を始めて、こんなにも豊かな美術の世界を知らないで過ごしてきたことが、なんと勿体無い日々であったかと思います。前職SE、前々職の肉体労働(映画も含む?)の経験も活かして、知的かつ表現力と人情味あふれる、個人プレーでなくスタッフひとりひとりが魂のこもった仕事ぶり、接客ができる「美術会社」となることを目指しています。