店主 田中千秋の美人画コラム
2018-01-30店主 田中千秋の美人画コラム
04 歌麿(うたまろ)

歌麿は、一種の幻のように感じさせる存在だ。

浮世絵商としても、簡単に「わかった」と言わせない何かがある。

浮世絵は、美人画と呼ばれる存在の元祖だけれども、その描法は、基本的に「個性」というものを無視する。むしろある種の様式美を定めて、お茶屋のアイドルだろうが、遊女であろうが、同じ顔に当てはめてしまう。

歌麿「寛政三美人(当時三美人)」
歌麿「寛政三美人(当時三美人)」

歌麿もその様式美の極地なのだけど、ある種の彼の作品は、現代人が泣いて悔しがっても真似できない、完璧さを持つ。人間の顔を描いた、というより、完璧な数学的曲線が、これ以上ない精確さでレイアウトされている。

個人の顔を無視、という「伝統」は清方・深水あたりまで続くのだが、顔のクローズアップでいっぺん頂点まで登りきってしまったのが歌麿なのである。

 

価格の面でも、100万ドル(一億円)を超えた価格がついた版画美人画は歌麿ただひとりである。一〇年前のクリスティーズで『もの思ふ恋』が100万ドル超えを狙って売り出されたのは記憶に新しい。残念ながら落札はされなかったが、浮世絵のスターは、やはり、北斎、、写楽そして歌麿なのである。

 

有名な春画『歌満くら』や、植物を博物誌風に描いた「画本虫撰(むしえらみ)」、秀麗な肉筆絵画など、歌麿について語るべきことは幾らもあるが、ほぼ宇宙からの贈り物とでも表現するべき精妙な版画作品は「浮世絵」世界全体を世界の美術史の中で遠く高く釣り上げている。

Kitagawa Utamaro
1753-1806
Ukiyoe painter. Also referred to as Hosho, Sekiyo, Mokuen, and many others as Betsugo. “Ukiyoe Ruiko” tells, “He initially became a pupil of Toriyama Sekien to learn the Kano School painting”, but there is no particular proof in the pieces from his early times which could show he had been affected by Sekien, rather his style was close to Katsukawa School. Afterwards, he could be favored with the friendship of Tsutaya Juzaburo, a publisher, to dedicate many drawings for the comic tanka books with multi-color printed pictures issued by the above mentioned publisher. He opened a new frontier with a realistic expression which gradually made him popular. In approx.1891, he released “Bijin Okubie”, a new style beauty. He used Kirazuri (applying a coat of shiny ground mica on top of a background ) or Kitsubushi (yellow ground) to become an important beauty painter.
秋華洞店主 田中千秋Profile

秋華洞として二代目、美術を扱う田中家としては三代目にあたります。美術や古書画に親しむ育ち方をしてきましたが、若い時の興味はもっぱら映画でした。美術の仕事を始めて、こんなにも豊かな美術の世界を知らないで過ごしてきたことが、なんと勿体無い日々であったかと思います。前職SE、前々職の肉体労働(映画も含む?)の経験も活かして、知的かつ表現力と人情味あふれる、個人プレーでなくスタッフひとりひとりが魂のこもった仕事ぶり、接客ができる「美術会社」となることを目指しています。