2005-08-27日本美術そうだったのか通信
Vol.59 愚庵その4

□■□■  「日本美術そうだったのか通信」 Vol.59
発行 有限会社アートオフィスJC・秋華洞
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<本マガジンの説明>
日本美術の鑑賞界のホットニュース、古今国内東西の作家のエピソード、美術業界
裏話など、日本美術をより楽しむための情報をお届けします。
アートオフィスJC・秋華洞提供。
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こんにちは。

アートオフィスJC・秋華洞の田中千秋です。

夜帰宅すると、あたりで虫の声。もうソロソロと秋の気配も感じるこのごろ
です。とはいっても、残暑の日差しはジリジリ厳しいものですが。

さて、前回お知らせした『書画・鑑定マニュアル』の増刷ぶんの予約を多数
いただき有難うございました。先着100名様は無料配布ということで、先
週お約束しましたが、まだ無料配布の枠が残っておりますので、どうぞご遠
慮なくご請求下さい。(まだ50部以上は無料配布できます。)また、ご
請求はお一人様二部までということにさせていただきます。

価格についてですが、有償の場合、500円(税込み、送料無料)というこ
とにさせて頂きました。

なお、100名様を超える分に関しては、その旨当該のお客様にメールにて
お知らせした上、ご納得された方に、500円の郵便振込み用紙を同封いた
します。(今後も毎月一定数は無償配布の予定です。)

ということで、まだの方は、ふるってご請求下さい。二回目の方もご遠慮な
くどうぞ。

『書画・鑑定マニュアル』ご請求フォーム
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※ページ上部に内容紹介やご感想が続いて、ページ最下部に請求フォームが
ございます。

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今週の入荷情報
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■梶田半古『秀吉激怒』 (かじたはんこ・ひでよしげきど)
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東京から京都に場所を移して現在開催中の「小林古径展」。古径の世界は何
とも言えず清澄で、素晴らしいものですが、その古径の師匠がこの梶田半古
です。

古径以外にも、半古門下には、前田青邨、奥村土牛など、極めて評価の高い、
近代日本画の背骨を作ったと言ってもいい人たちがいます。

何故、ここまでの巨大な門人たちが育ったのか、興味深いところです。古画
に造詣が深かったこと、挿絵画家として写生を重んじたこと、文人(尾崎紅
葉、泉鏡花など)などと交流が深かったことで、弟子たちが世界観を広げ、
「骨太」の下地を作る環境を、半古は提供していたのかもしれません。

そして何より、弟子たちの面倒見がよかった事は伝えられているところです。

さて、半古は明治30年代、尾崎紅葉などの挿絵画家として人気を博します
が、一方で、歴史画の巧みなことでも知られていました。

そこで本図。

右手には虎の大層な椅子から立ち上がり、今にも剣を抜かんとする激怒の秀
吉が描かれます。画面中央には引きちぎられた手紙が舞い、慌てる僧侶。
ところが、左手にはすました顔で冷笑さえ浮かべる中国の使節。

本図には特に解説のような物は添付されていませんが、こうした場面から、
明らかに、秀吉が第一回目の朝鮮征伐(文禄の役)の停戦後に、明に対して
試みた強気の交渉が全くの失敗に終わった場面であることが分かります。

ご存じのように、秀吉は日本統一後、中国大陸征服への野心を燃やし、朝鮮
に進出。

が、そもそもが無理な出兵であったこの戦争は、間に立った日明双方の交渉
担当者がデタラメな報告をあげて収拾を図ることで、どうにも滑稽な様相を
呈します。

すなわち秀吉の耳には「明が降伏した」という情報が届き、明王には「秀吉
が降伏した」と報告される始末。

結局は、この場面、明の使節が明王の手紙を携え秀吉の大阪城に訪れること
で、ウソの物語は全て破綻し、この秀吉の激怒が、第二回目の朝鮮征伐につ
ながっていきます。

参考:文禄・慶長の役 和平交渉 WikiPediaより
http://k.d.cbz.jp/t/h4vn/505v9600e8kp0dlzn0

孤独な独裁者となった秀吉の、成金趣味の象徴とも言える虎の毛皮の椅子
から立ち上がり、公家と武家の権威を借りた御簾と段差、狩野派の水墨画が
描かれた障子を背景にして剣を抜こうとするも、明史からは余裕シャクシャ
クの冷笑を浴びせられる秀吉の悔しさが伝わってきます。

本図で注目するべきは、やはり細密描写でありましょう。秀吉と使節の表情、
諫める僧侶の手の表情、衣装の描写。背景に書かれた障子の水墨画がリアル
に描きこまれています。そして虎の毛皮の質感。画面上部にまるめてある御
簾の、スケッチの誠に厳密なことときたら、定規で描いたのでしょうか、細
かくまっすぐに線が一本一本並んでいます。

手抜きのない、細部にこだわりのある歴史画で、絵の前で色々と話題が出そ
うな、なんとも楽しい絵であります。

この作品は、残念ながら共箱(作者が署名した箱)がありませんので、かな
り割安な価格をご呈示しています。

梶田半古『秀吉激怒』
絹本着色軸装
本紙47×54.4 cm 総丈153×66.7 cm
落款・印
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さてお待ちかね、愚庵の第四回です。
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人生は美しい 天田愚庵 その4
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(今までの天田愚庵)
天田愚庵その1,2,3(通信Vol.53,55,57)
http://k.d.cbz.jp/t/h4vn/505vb600e8kp0dlzn0

台湾征伐に参加した愚庵を東京で待っていたのは「逮捕、拘留」でありまし
た。
罪名は「不応為罪」。禁獄30日。

「不応為罪」とは、聞き慣れない罪名ですが、これはまあなんでしょう、と
もかくケシカラン、という位の意味のようです。どうも、西郷隆盛はじめ野
に下った征韓論の不穏分子の活動に警戒感を強めていた当局が、鹿児島あた
りでウロウロしていた愚庵について、兎も角アブナイ奴だ、ということでブ
チこんだらしい。

血気盛んな愚庵も、逮捕拘留尋問のあげくにさらに30日の牢獄生活には、
さすがに、しゅんとしたようです。

自分は何をしていたのだろう。父母を尋ねる心も忘れた自分に、天罰が下っ
たのだ。

彼は故郷のいわき平に向かいます。

だが、故郷の風景は一変していました。あれほど権勢を誇った城郭は牛飼い
場となり、武家屋敷もほとんどあとかたもなく、ただ菜の花が一面に咲くば
かりでした。

「咲く風は問へど答へず菜の花の何処や元の住家なるらん」

愚庵はあらためて、父母、妹を尋ねる旅に出ます。兄を訪れ、親戚を訪ね、
しまいには北海道まで行きますが、杳として父母の消息はつかめません。そ
して北海道では体調を崩し、東京で鉄舟の保護の元、静養することになって
しまいます。

そんななかで、西南戦争は西郷の自死に終わり、愚庵もその血をたぎらせた
征韓論は負けて、回復した愚庵は情熱の向けどころを失い、心がふさがりま
す。

しかしそんななかでも、たまたま紹介された陸羯南(くが・かつなん)との
交流の中で、彼の心が慰められます。陸羯南は、のちに正岡子規の評論活動
を助け、子規をして「羯南を思うと涙がこぼれる」と言わしめ、漱石が「有
徳の人」と賞揚した大新聞人となる人物です。司馬遼太郎『坂の上の雲』を
お読みの方は勿論、ご存じですよね。

さて、大人しく、彼の本来の主題である、父母捜しに身を入れるかと思えば、
さにあらず、明治十一年、24歳、今度は板垣退助の始めた「愛国社」の同
志として、暗躍せんと、またまた東京を飛び出してしまいます。

当時宮内省大書記官、すなわち天皇家おつきの筆頭補佐官の役目であった、
鉄舟は烈火のごとく怒ります。

おまえは、ただでさえぶち込まれた前科者、軽挙妄動して、またつかまっち
まったらもう二度と出られやしないぞ、あることないこと罪を被せられてお
仕舞いだ。そしたら、おまえの父母捜しはどうするんだ?いったい何を考え
て居るんだ?

山岡鉄舟の前に出た愚案は悄然とせざるを得なかったでしょう。

俺はバカだ。だがなんて、運が良いのだ。こんなお人に、巡り会えたのだ。

あふれ出る鉄舟の親心に、愚庵は感謝したのではないでしょうか。

「先生、お客様です。」

「おう、次郎長が来たか。通せ。」

目つきの鋭い、筋肉の盛り上がった、いかにも恐ろしげな威厳のある壮年の
男が現れます。

自分の番は終わった、とばかり席を立とうとする愚庵を、鉄舟は制します。
可愛くて仕方がないが手のつけようのない直情青年を、山岡は任侠渡世の男、
清水次郎長その人に預けることにしたのでした。

次郎長58歳、愚庵25歳でした。

(この項つづく)
※なお、本連載は、第一回で挙げた参考文献をもとに、せりふなどは私が勝
手に脚色した部分が含まれています。ただし、登場する人物、愚庵の詩歌は
すべて実在した物です。

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懸賞企画のお知らせ
http://k.d.cbz.jp/t/h4vn/505vc600e8kp0dlzn0

懸賞企画第二弾です。

今回は、9月9日締め切り。

今回の懸賞も、私どもの賞品以外にも、ほかの加盟店店舗さんの賞品も含
めてほぼ毎日、何かが当たります。

私どもでは、現金一万円か、堂本印象の「花」複製版画が当たります。今回
も色紙大のものです。私どもで販売するとすれば2-3万円でしょうか。ごく
簡単なものですが、ちょっと楽しむにはいいものだと思います。

ちょっと楽しいこの企画、ふるってご応募ください。

懸賞申し込みはこちら
http://k.d.cbz.jp/t/h4vn/505vd600e8kp0dlzn0

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☆☆☆☆☆☆☆☆☆
おまけコラム 白洲正子その3 あるいは 真贋について番外編

前回、予告したので、紹介しなければなりません。はい。

「面白い」と紹介しました、白洲女史の真贋を巡る論評です。いざ、引用す
るとなると、長い文章の一部で、「痛快」に思える引用が難しいなと思って
いるのですけれども、ちょっと、やってみます。

※おまけのおまけ(白州、じゃありません、白洲、です。イエ間違えている
人が多いので。)

+++++
その頃、加藤唐九郎が造った「永仁の壷」事件が社会的な問題となり、陶器
の目利きとして知られる青山二郎が狩り出されたわけだが、真贋(しんがん)
といったようなものは(特に日本の場合は)世間で考えているほど簡単なも
のではなく、はっきり割り切ることなど不可能なのである。

(中略)

そもそも贋物とは何なのか。今いった「永仁の壷」にしても、瀬戸の土で、
瀬戸の釉薬を用い、瀬戸の窯(かま)で焼いたのだから、百年も経てば鎌倉
時代の作とまったく区別がつかなくなるだろう。作者が黙っていればそれま
でだが、唐九郎が名のり出たので事は面倒になった。そこで週刊誌や新聞が
待ってましたとばかり騒ぎだしたのだが、似たような事件は今でもしょっちゅ
う起こっている。一方、専門家にしてみれば、何十年の間に数十万点、数百
万点のものを見ており、その中にたまたま一つの間違いがあったとしても、
ジャーナリズムがとやかくいう程生易しい問題ではない、と青山さんはいう
のである。

(中略)

そのために文化財保護委員の一人が職を失うに至ったのは気の毒である。大
方マスコミは、正義のために追放したとでも思っているに違いないが、こう
いうことは疑いだしたらキリがないもので、あれはほんとうに唐九郎が作っ
たのだろうか、もしかすると弟や息子ではなかったかと、蔭でのひそひそ話
はつきないのだ。そういうことに思いを致すならば、安易に真贋の問題なん
て持ち出せなくなるだろう。それでも平気で話題にする人たちは、それこそ
紛れもない贋物だと私は思っている。

(後略)

+++++
私が「痛快」と思ったのは、「真贋について」を巡る7つのメルマガ連載で
も(その1〜6と「真贋の森」)述べたように、
http://k.d.cbz.jp/t/h4vn/505ve600e8kp0dlzn0

まさに「真贋は世間で云うように白黒、簡単に云えるものではない」と思う
のですが、そのあたりを、なまじのクロウトよりクロウトと云えるかもしれ
ないが、一応はシロウトの白洲が、ズバリ言って、そこを訳知り風に云うマ
スコミ的論調を「それこそ贋物だ」と断じたレトリックでありました。

えー、インパクトありました?

この唐九郎の「永仁の壷」事件は、ある意味では偏屈者の面目躍如といいま
すか、「真贋とは何か」という命題を世間につきつけた事件と私は考えてお
りまして、奈良の永仁時代の作とされるツボが「発見」されて、なんと国宝
の指定を受けるが、のちに唐九郎が「あれは自作だ」と「白状」する、とい
ったことで世間がテンヤワンヤになる、という事件なのですが、ともかくも、
この事件を巡っても、「真」と「贋」の間にある様々の陰影といいますか、
単純に割り切れないことを割り切れないんだ、と云うあたりが彼女タノモシ
イナ、と感じたのであります。

永仁の壷事件は、ごく最近、村松友視が小説化していまして、面白そうです。
私は出版されてすぐ買いましたが、まだ「積ん読」状態です..。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4103523042/qid=1125132805/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/250-7036170-4968249
http://www.tokaiedu.co.jp/bosei/books/0502.html

ついでにいえば、白とも黒ともいえないことを、さーも断じられるかのよう
に報道して空騒ぎする、マスコミの体質は永久に変わらないだろうな、とも
思うのでした。ムネオ事件や辻本清美の事件も同じ。魔女狩り体質と申しま
しょうか。彼らも、唐九郎も復活しましたが。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆

(イヤマの新コーナーは来週のお楽しみに!)

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