秋華洞では、歌舞伎座に程近い画廊としてこれまでも役者絵の展覧会を開催してまいりました。今回は浮世絵だけでなく、歌舞伎をテーマにした掛軸、双六、役者自身の書画など、幅広い作品から歌舞伎の世界をたどります。
秋華洞では、歌舞伎座に程近い画廊としてこれまでも役者絵の展覧会を開催してまいりました。今回は浮世絵だけでなく、歌舞伎をテーマにした掛軸、双六、役者自身の書画など、幅広い作品から歌舞伎の世界をたどります。
展覧会情報
会期2015年10月27日(火)〜11月5日(木)
会場ぎゃらりい秋華洞
時間10:00〜18:00
備考会期中無休 入場無料
肉筆でみる歌舞伎
栗原玉葉「瀬川菊之丞」
栗原玉葉「瀬川菊之丞」(部分)
栗原玉葉「瀬川菊之丞」(部分)

一見、美人画と思いきや、羽織に染め抜かれた「丸に結綿」は濱村屋(屋号)の定紋であること、女形の紫帽子から歌舞伎役者の瀬川菊之丞とわかる。

ここがポイント
瀬川菊之丞は江戸歌舞伎の女形を象徴する大名跡。寛延から安政期に活躍した二代目は路考髷、路考茶(路考は菊之丞の俳名)など、名前をつけた商品がはやるほどの人気を集め、化政期に活躍した三代目は女形ながら座頭をつとめるなど人気、実力とも最高峰の役者として江戸歌舞伎に君臨した。

栗原 玉葉(くりはら ぎょくよう)
明治16(1883)長崎~大正11(1922) 日本画家。本名文子。はじめ大久保玉珉、のちに寺崎広業、松岡映丘らに師事する。文展、帝展を中心に活躍するも、39歳で早世した。女子美術学校(現:女子美術大学)教授。
初代豊国「七世市川団十郎 五世松本幸四郎 三囲詣之図」
初代豊国「七世市川団十郎 五世松本幸四郎 三囲詣之図」(部分)
初代豊国「七世市川団十郎 五世松本幸四郎 三囲詣之図」(部分)

七世市川団十郎は化政期から天保にかけて活躍した歌舞伎俳優、歌舞伎十八番を選定したことでも知られる。五世松本幸四郎は鋭い目つきと高い鼻が特長で実悪(じつあく)と呼ばれる謀反人・大盗賊など、終始一貫して悪に徹する敵役を得意とした。

ここがポイント
三囲(みめぐり)神社は向島にある神社で隅田川七福神めぐりの起点でもある。
手軽な行楽地として人気があり、浮世絵にも良く描かれている。

歌川 豊国(初代)(うたがわ とよくに)
明和6(1769)江戸 ~ 文政8(1825)江戸 浮世絵師。本名は倉橋熊吉、後に熊右衛門。一陽斎と号す。幼少期に、歌川派の創始者・歌川豊春門下に学ぶ。挿絵や優美な美人画、役者絵で絶大な人気を博す。門下から国貞、国芳らの有力な絵師が輩出し、歌川派を繁栄へと導いた。
やっぱりイケメンが好き!浮世絵は役者のブロマイド
山村耕花「梨園の華 初世中村鴈治郎の茜半七」
山村耕花「梨園の華 初世中村鴈治郎の茜半七」
山村耕花「梨園の華 初世中村鴈治郎の茜半七」

『艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)』の茜屋半七、演じるのは明治・大正期の上方歌舞伎を代表する歌舞伎役者、初代中村鴈治郎(1861-1935)。芸を追求する姿勢で知られ、同じ役柄でも日々型を変えて演じたとの逸話が残る名優。切れ長の目、ほのかに染まる耳朶に色気が香り立つ一枚。

ここがポイント
大正9年に発表されたこの「梨園の華」シリーズ12点は代表作で他に十三世守田勘弥のジャン・バルジャン、五世中村歌右衛門のおわさなどがある。

山村 耕花(やまむら こうか)
やまむら・こうか 明治19(1886)東京~昭和17 (1942)東京 日本画家。尾形月耕に師事。東京美術学校(現:東京芸術大学)卒業。日本美術院同人となり院展を中心に活躍。版画も制作し、役者似顔絵は特に優れる。演劇の舞台装置も手がける一方、浮世絵や人形・蒔絵・陶器など美術工芸品の蒐集家としても知られた。
三代豊国「天日坊法策 市川小団次 米升」
三代豊国「天日坊法策 市川小団次 米升」
三代豊国「天日坊法策 市川小団次 米升」

四代目市川小団次は文政3(1820)年に父と共に大坂へ上り、三代目市川升蔵に入門。上方の子供芝居に出演しながら修行を積む。その後、七代目市川団十郎に引き立てられ、弘化元(1844)年に市川小団次を襲名。3年後には江戸へ戻り、大阪仕込みのケレン(※大道具や小道具の仕掛けを使って、観客を驚かせるような演出のこと。早替りや宙乗りなど)で大変な人気を博した。派手な演出で注目を集めた一方、あらゆる役を巧みに演じ、当時の流行歌には「似顔は豊国、役者は小団次、作家は黙阿弥」と歌われたほど。

ここがポイント
名門の生まれでないことに加え、風采も上がらず、また口跡も良くなかったとされるが、その短所を補って余りある演技で名を残した幕末期の名優。特に怪談や盗賊役(白波物)が得意で浮世絵にも多く描かれている。

豊国Ⅲ(国貞)(とよくにⅢ(くにさだ))
天明6年(1786)~元治元年(1864)
浮世絵師。画号に一雄斎・五渡亭・月波楼・琴雷舎・香蝶楼などがある。 初代豊国 の門人で弘化元年(1844)に豊国の号を継ぐ。舞台の興奮が伝わってくるような 役者絵 を描き、「 役者絵 の 国貞 」と呼ばれる。また 美人画 に於いても時代の好みを反映した粋で艶な猫背猪首型の美人を描き、人気の高さはその圧倒的豊富な作画量に象徴される。
歌舞伎いろいろ
国貞Ⅱ「俳優楽屋双六」
国貞Ⅱ「俳優楽屋双六」
国貞Ⅱ「俳優楽屋双六」

歌舞伎の楽屋を描いた双六。上がりの中央上の部屋には、河原崎権十郎(後の九代市川団十郎)、左の座頭部屋には四代目中村芝翫がいる。下の階には作者や小道具の部屋も見える。

ここがポイント
江戸のスターだった歌舞伎役者はファッションリーダーでもあった。役者はそれぞれの文様を持ち、手ぬぐいや浴衣に染め上げて日常的に使った。それをまたファンが購入するなど、今で言うキャラクターグッズの役割をしていたのかもしれない。この双六では中村芝翫は芝翫縞の着物を、市村家橘は市村格子を身につけている。ちなみにいまではおなじみの市松模様も佐野川市松が身につけて人気が広がった。

広重「名所江戸百景 猿わか町よるの景」
広重「名所江戸百景 猿わか町よるの景」
広重「名所江戸百景 猿わか町よるの景」

天保の改革を機に水野忠邦によって取り潰されそうになった中村座(一番奥)、森田座(手前)、市村座(真ん中)の江戸三座は、名奉行、遠山金四郎の助言により浅草に集中移転された。これが猿若町。芝居小屋が一箇所に集まったことで、交流も競い合いも盛んになり、町も一大歓楽街として栄えた。画は芝居がはねた後の様子。

ここがポイント
広重は猿若町を北から南を見て描いている。南西に浅草寺、北西に吉原がある立地。猿若町は江戸歌舞伎に始祖、猿若勘三郎の名を取ってつけられた。江戸三座の屋根には幕府が興行を許したしるしである「櫓」が上げてある。

歌川 広重(うたがわ ひろしげ)
寛政9(1797)~安政5(1858)
浮世絵師。歌川豊広に師事。透視図法を取り込んだ巧みな画面構成、遠近の対比などによって描かれた名所絵は海外でも高い人気を誇る。代表作に《東海道五十三次》《東都名所》《名所江戸百景》等。

この他にも役者自身の「書」や役者絵、歌舞伎にまつわる作品を展示いたします。ぜひ、お越しください。