店主 田中千秋の美人画コラム
2018-01-29店主 田中千秋の美人画コラム
03 上村松園(うえむらしょうえん) 2

前回に続いて上村松園を取り上げるが、ここで触れておきたいのが、彼女の「書」である。
日本画には、落款という画中の署名捺印部分の他に、箱に画題と書名を描いた「箱書き」というものがあるが、
実はこの「箱書き」(戦後は「共シール」という、額裏のラベルに変化する。)がないと、日本画作品は完成しない。

残念ながら、最近の若い「日本画家」は、箱書きができない。

できるできない以前に、たぶん彼ら彼女らのほとんどは、箱書きを見たことがない。

さらにいえば、落款を記すのを避けて通る画家も多い。

落款は一般に、署名と印章の組み合わせでサインをする日本画の慣習だが、印章のみ捺して済ませている若い画家が少なくないのが実情だ。入れると絵のバランスを崩すというのがその理由だが、率直に言えば、書に自信がないものも多かろう。

「筆ネイティブ(※山下裕二先生オリジナル用語)」がいない現代では致し方ない現象ではあるが、

日本画を語るのであれば、まずこの落款を自信を持って書けるようになってからにしてほしい、

というのが画商としての率直な感想だ。

脱線したが、この日本画の歴史というものの中心、王道にいたい、という、彼女の情熱がその書体にあらわれている。

松園の書体は、ほぼ完璧である。

平安時代に成立した草書の教養をベースに、甘いところのない、流麗で、しかも女性らしい書体が完成されており、

彼女の作品の贋作も、箱書きの書体を見れば、大抵見破れる。

この箱書きの完成度は、美人画家の一群のみならず、すべての歴史上の日本画家の中でもずば抜けている。

このことひとつをもってみても、松園の仕事が際立っていることを象徴している。

日本画とは線であるとは、よく言われていることだが、実は線とは、すなわち書そのものともいえる。

書の書けない日本画家というものがもしいるとすれば、それは日本画家ではない。

今更日本画の定義云々の議論自体が古臭いのを承知で頑固ジジイぶってみた見方だけれど、

最近忘却されている見方なので、ここではぜひ指摘しておきたい。

・・・秋華洞さん、美人画に力入れているんですってね、じゃあどの美人画が一番好きなんですか?

と聞かれると、そうだなあ、甲斐庄ですかね、島成園も捨てがたいな、

大御所では、やっぱり清方かな、夢二も悪くないですよ、あ、ウチの池永、これもちろんイチオシです・・・。

と答えるのだけれど、心の中では思うのである。

やはり松園があってこそ、美人画というのは「ジャンル」たり得たのだ。

生涯伴侶を持たなかった彼女は人生においては「月」だったかもしれないが、

美人画の世界では、彼女は燦然と輝く「太陽」だ。

その他の画家は彼女の光を浴びて輝く「月」に過ぎない。

それが、近頃の自分の見方なのである。

秋華洞店主 田中千秋プロフィール

秋華洞として二代目、美術を扱う田中家としては三代目にあたります。美術や古書画に親しむ育ち方をしてきましたが、若い時の興味はもっぱら映画でした。美術の仕事を始めて、こんなにも豊かな美術の世界を知らないで過ごしてきたことが、なんと勿体無い日々であったかと思います。前職SE、前々職の肉体労働(映画も含む?)の経験も活かして、知的かつ表現力と人情味あふれる、個人プレーでなくスタッフひとりひとりが魂のこもった仕事ぶり、接客ができる「美術会社」となることを目指しています。