美人画を私どもの隠れた看板に掲げてかれこれ10年ほどがたつ。
そもそも、私どもの「美人画」への偏愛は、福富太郎さんへの敬意から始まっている。
福富太郎さんは、うちの父が秋華洞を立ち上げる前に長年経営に加わった祖父の会社「思文閣」のお得意様であった。
叩き上げで成功し、キャバレーチェーンを築いた立志伝中の人である。
キャバレー太郎との異名を持つ。そして美人画のコレクターとして有名であった。
平成15年、父と新しく美術画廊を立ち上げるにあたって、参考にした本の一つが福富さんの本であった。
彼の著作では、ひとつひとつの美人画の背景にある物語、作家の生き様の中での作品の位置付け、
そして入手の苦労などが、探偵小説のごとく生き生きと綴られていた。
福富さんは会うとこんな風にうそぶいてみせる。
女なんか好きじゃないし、キャバレーなんか自分じゃ行きたいとも思わない。
それじゃあ、なんで女の絵なんて蒐めるんですか?とは野暮だから聞かない。
そんなことは彼の著書の行間に溢れている。
それにはいろんな答えがあるだろう。有り体に言えば、本当は女が好きだから。
ついでに言えば、生身の女は何十人もコレクションする訳にいかないが、
絵なら何百点買っても誰も文句は言わない。
奥さんはいうかもしれないが。
実を言えば、美人画はコレクションに向いている。
人物画は実は強過ぎて、やたらに飾るのは向かない。
家に飾るのなら、少しあれば十分だ。夜中に起きてあちこちで女と会うのはおそろしかろう。
でも、蒐めるのには向いている。楽しいのである。何かを蒐めるということは。
福富さんは、鏑木清方、伊東深水、伊藤晴雨、河鍋暁斎、北野恒富、
この辺りに特にこだわりがあったと思う。
この辺りの名前からモヤっと立ち上がる色香、技術、心意気、なまなましさ、
そうした事に惚れて生きた人だ。
秋華洞では、こうした世界に加えて、
古いものでは美人画の元祖、浮世絵や、現代に女性を描く日本画家たちも対象に広げて、
品物を捜し集め、あるいは画家たちに描いてもらって、紹介していきたいと思う。
一方で、美人画とは何か、という事を現代的に定義しようとすれば、実は無理がある。
油彩で描いた女性像は当てはまらないのか、和服を着ていないとダメなのか、などなど。
しかし定義は曖昧でいい。世の中、定義しにくい、新しいものに、新味や妙がある。
日常と非日常の境目、現代と近代の破れ目、美術とそうでないものの境界、
見たことがありそうでなさそうなもの。
私達の心に突き刺さるのは、そんな曖昧なものである。
数学とか法律の物差しでは測り難い、定義しにくいものであっていい。
私達を惑わせ、魅了するなにものかの一群を、ここでは「美人画」としておこうではないか。
私達の「美人画」がなんであるかは、ひと通りかんがえてから、また答えを出そう。
画像:鏑木清方「秋更くる墨田河原」(部分)
秋華洞店主 田中千秋プロフィール
秋華洞として二代目、美術を扱う田中家としては三代目にあたります。 美術や古書画に親しむ育ち方をしてきましたが、若い時の興味はもっぱら映画でした。 美術の仕事をはじめて、こんなにも豊かな美術の世界を知らないで過ごしてきたことがなんと片手落ちだったかと思います。 前職SE、前々職の肉体労働(映画も含む?)の経験も活かして、知的かつ表現力と人情味あふれる、個人プレーでなくスタッフひとりひとりが魂のこもった仕事ぶり、接客ができる「美術会社」となることを目指しています。
長い長いプロフィール